1~3月に飲んだ酒
大して知識も含蓄もないけど、印象に残った数本だけ経験値として備忘録を残しておく。
さて、昨年からウイスキーにはまり込んで行ったが、思えば京都で学生をしているにも関わらず酒を飲むのは都内ばかりで、京都のバーに行ったことはほとんどなかった。それはまぁ声優やらアイドルのイベントで都内に行くついでに飲みに行っていたからなのだが、もはや酒を飲む口実を作るついでにイベントに行ってる節もあったので、この3か月はなるべく京都のお店に足を運ぼうとした。まぁ結局乃木坂やら欅坂やらアイマスやらで都内に足を運ぶ頻度はそこまで減らなかったんだけど。
昨年末話題になったボトル。神戸メインモルトと有楽町キャンベルタウンロッホという有名なバー2店に向けて詰められた1樽。グレンファークラス1989
近年シェリーという言い方をするけど、なんせ近年成人したもんだから近年シェリーしか知らん。
とはいえ、これは一つ頭抜けてるなとは思った。レーズンやドライフルーツの香りというより、フレッシュなブドウの香りがして、後味のタンニンは渋すぎず。全体を通してみずみずしい葡萄感がある。少し土っぽいけど硫黄やゴムのようなネガティブな印象ではない。
(昔と比べると)マッカランがそんなに評判の良くない昨今、シェリー系といえばファークラスになってくるんですかね。
90年代流通のエドラダワー10年。近年じゃないシェリー系を飲んでみようとリーズナブルなものを探したら出てきた。とはいえ、エドラダワーは特徴的すぎて近年がどうとかそういうんじゃなかった。
一般的にネガティブな要素として語られるパフューム香が強く出ている一本。結構嫌いじゃなかった。オールドボトル特有のヒネ?もある。練乳のようなクリーミーさと主張の強くない穏やかなシェリー感はブラインドでも分かりそう。
2000年代からシグナトリーが蒸留所を買収して、最近はパフューム香がなくなったらしい。後学のためにこう言ったクリーミーなものを飲んでおくといいな〜とか思ったりもするんだけど、そもそも娯楽で飲んでる酒に後学もクソもあるかよとも思ったり。
ウイスキーフェスティバルin東京2010の限定ボトル、ロングモーン34年
想像してたトロピカルな感じはあんまりないけど、とにかく美味い、筆舌に尽くしがたいものだった。
「筆舌に尽くしがたい」って、語彙力ないです。って言ってるっていう意味では「いいねぇ〜」と何も変わらないんだけど、なんか頭良さげに見えるから良いよね。積極的に使っていきたい。
ラベルに書いてるのは2014年マッサンで一躍有名になった竹鶴政孝と、彼が国産ウイスキーを作るために修行へ行ったロングモーンの工場長が描かれているとか何とか。エモいエモい。
去年はシェリーシェリーとうるさかった自分もいい加減飽きてきて、最近は南国系をやたらと飲みたがって注文する。自分の中ではそういうニュアンスはアイリッシュにばかり追い求めてきたんだけど、このブナハーブン36年はアイリッシュのケミカルな感じはなくて、モルトの旨味が強く明るいトロピカルフルーツって感じだった。味に明るいって表現はなんか意味わかんないと思うんだけど、なんかそういう感じ。加水して40.1%とはいえ後味は本当にアルコールか?ってくらいスッとしてた。
昨年末ようやくピーティなウイスキーの美味しさもわかってきたので、色々と飲んでみたが、印象に残った2本。
パリに店を構えるラ・メゾン・ド・ウイスキー(LMdW)のtenシリーズ07ボウモアと、イチローズモルト秩父ピーテッド2016。
短熟でもピートが効いていると若い原酒の荒さがマスクされて割と飲みやすい。前者ではマスクされた奥から南国系のフルーティさが、後者ではバニラっぽい樽の味が感じられる。
ボウモアは2013年販売だからもう手に入らないし、イチローズモルトに関しちゃ定価なんてあってないようなもんなんだけど、こう言ったボトルが定価で1万しないって聞くと、家飲みは案外こう言う穏やかなピート感あるものを選ぶのがコスパ良かったりするのかなって思った。定価で手に入るならね・・・。
2月には秩父神社で行われた秩父ウイスキー祭2017に行ってきた。いい天気。
カードシリーズや、ベンリアックの40年近いボトルが格安で飲める。店で飲んだらどんな値段になるやら。。。写真は撮り忘れたが、山崎蒸留所秘蔵モルトなんかもあった。
貴重なものを飲めるのは嬉しいけど、過去のボトルが良かったっていう事実を知るたびになんだか悲しくなってくるね。
そうした、滅多にお目にかかれないボトルを試飲できる、というのも魅力の一つであるが、ここでは色んなお店の新商品をいち早く飲めるという良さもある。
上は埼玉県に本店を構えるエィコーンのオリジナルボトリングの新商品である。
グレングラントを飲んだことはあまりなかったが、これは結構美味しかった。
下は信濃屋のオリジナルボトリング3つ、グレンファークラス2004,2005とチェスシリーズの最後の1本チェックメイト、アイリッシュシングルモルト1988。
先述の1989といい、信濃屋がこの前出した1991といい最近やたらと話題のファークラスだけど、2004年も飲んでみてファミリーコレクションってやっぱりいい樽選んでるんだなーと。流石に1989や1991と比べると荒さは感じるけど、後味の甘みや硫黄感などの無さはかなり良いと思う。14kと言われると少し足踏みはしてしまうけど。
アイリッシュシングルモルトは、まぁなんというか美味いけどスッゲェケミカルだ・・・。値段も約4万円となかなか。
さて、メインイベントはこのウイスキー祭で行われる信濃屋のセミナーだ。
Facebookとか見てもあんまり情報とか出てないから、書かないほうがいいのかな〜とか思いつつも、いやそもそも別にこんなクソブログ誰も見てないんだから忘れないうちに書いとこうと。
ボトラーズとしてオリジナルボトリングを始めて10周年になるSHINANOYAが今年それを記念して10樽出すというその一部をチラ見せ、みたいなセミナー。
テイスティングで出てきたのは、先ほども飲んだチェックメイト、昨年末リリースされたファークラス1991、アプルヴァル(これはウイスキーでなくカルヴァドスだけど)、今後リリースするらしいティーリングシェリーカスク1991、軽井沢1981
まさか4000円のセミナーで軽井沢が飲めるとは・・・。
チェックメイトはプラコップで有料試飲してもケミカル強いなっていう印象しかなかったんだけど、テイスティンググラスでゆっくり飲むと流石に白桃やマンゴーのような香りが感じられた。
ファークラスは1989のよりももっとレーズンやプルーンなどのドライフルーツの香りと味わいが強く、後味もタンニンというよりはカシスとかそういう甘い感じだった。
ティーリングはアイリッシュの1991というだけあってアプリコットとかそういうトロピカルフレーバーはチェックメイト同様あるんだけどそこにシェリーカスクの樽感やスパイスが乗っかってて面白い。
カルヴァドスはあんまり飲まないのでアプルヴァルは、ただただ美味しいな〜って感じでしかなかった(というより酒飲みすぎてもうあんまり舌が機能していなかった)。
マッカランを超えて今ウイスキー市場で最も高額で取引されている、一本の最高落札価格1100万とかそういうのでやたら名前ばかり聞くが全く飲んだことも見かけたこともない軽井沢であるが、まさか飲む機会があるとは思ってなかった。
ヒュミドールとかなんか若干鉛筆とかインクのような香りと、シェリーからクミンとかのスパイス、フィニッシュにビターチョコレートの感じととにかく忙しく複雑で、空いたグラスを香ってみると出汁のような香りがする。もう・・・なにこれ。
いや、美味しいんだけど、とにかく飲み疲れるものだった。外で飲むにはちょっと疲れるから、家に一本あってすっごい良いことがあった日に2,3時間かけて飲みたいものだけど、到底買えるような値段では発売されないんだろうなぁ。
まだ銘柄は発表できないが今後リリース予定としては、信濃屋と付き合い長い蒸溜所のオフィシャルボトリングと、70年代のアイラとのこと。
最近チェスシリーズのマッカランが発表されたが、マッカランは単独のプライベートボトリングでは初採用だし長い付き合いというわけではないから、違うんだろう。これもノンシェリーっていうマッカランのハウススタイルからかけ離れたもので凄い気になる。けど、20年で36900円てね。。。安いんだろうけどね・・・。手は出せない。
ファークラスはもう何本も出したし、トマーティンとかだろうか。
このウイスキー祭で何か1本ボトルを買って帰ろうと思っていたのに、セミナーで圧倒されて結局何も買わずに帰った。
来年も開催されるそうなので、何としても行こうと思う。まぁ、プラコップじゃ味も香りの全然ピンとこないことがわかったので、小瓶でも大量に買い込んで・・・。
京都だけじゃなくて、大阪にも足を運んでみた。
セミナーのティーリングやチェックメイトも美味しかったんだけど、ここで飲んだレッドブレスト25年があまりにも別格に美味かった。
白桃感が群を抜いている。アイリッシュで1991はかなり評判がいい。どの銘柄でも基本クーリーかブッシュミルズ蒸留所で作られたものだから大体似たような樽で、外れが少ないのだという。スリーリバーズのティーリング23年とかも思えば1991だったし、今度の信濃屋のもそうだし、ティーリングのヴィンテージリザーブにはあんまり普通のティーリングと似たようなテイストは感じないから多分その通りなんだろう。
でも、このレッドブレスト25年にはレッドブレスト12年のニュアンスがそのままにとにかく滅茶苦茶美味くなっている。というか、そもそも12年ものでも十分に美味いので是非飲んでもらいたい。
ここ数年、アイリッシュのヴィンテージがドゥンドゥン発売されているし、アイルランドではまたどんどんと蒸溜所が稼働しているので未来は明るいんだけど、そろそろ一旦こう言うプライベートボトリングみたいなものは減ってくるかもしれないとセミナーでも言ってたので、91年もののアイリッシュは今のうちに買っておくと良いんだろうな〜。レッドブレスト25年、輸入したら大体5,6万か〜高いなぁ。
ヤマもオチもないけど終わり。
アイルランドに行った その5
9月に行った旅行のことをいつまで引っ張るのか。備忘録を書こうにも遅筆なせいでボロボロと記憶も抜け落ちてしまっているけど、雑に残しておく。
アイルランドに観光っていうと、ちょっと田舎の方に行って大自然を満喫するか、クライストチャーチ大聖堂とか聖パトリック大聖堂だのダブリン城だの見て回るのが王道なんだろうか。昨年北欧を回った時は、特に行きたいと決めていたところはなかったので地球の歩き方に載ってる歴史的な建造物を見て回った。まぁそりゃ外から見た感じは凄いなーって思うしヘルシンキ大聖堂なんかは若干テンションも上がったが、基本的に歴史に何の知識も興味もないから、見た目でピークを迎えてしまって中で見る資料の数々は正直蛇足でしかなかった。
では、アイルランドには何目的で来たか。酒だ。
成人したての頃アイリッシュパブで働いていた私が初めて飲んだウイスキーはアイリッシュウイスキーだった。中でも一番美味いと感じたのが、イエロースポット12年である。バーボン樽やシェリー樽だけでなく、スペインのマラガで作られている酒精強化ワイン、マラガワインの樽を用いられて熟成されている。
マラガワインは、ペドロヒメネス種やモスカテル種を用いて作られるためかなり甘口で、そのカスクで熟成した影響でイエロースポットの飲み口はエキゾチックな甘さとも評されている。余韻は結構スパイシーで、その変化に初めて飲んだ時は感動を覚えた。そんなイエロースポット12年と同じシリーズにグリーンスポット10年というものもあるが、それの限定品グリーンスポットシャトーレオヴィルバルトンなるボトルがWorld Whiskies Awards 2016のBest Single Pot Stillに選ばれていてまだ日本に輸入されていなかった為、アイルランドまで買いに行ったのだ。
そんなわけで、アイルランドで最初に行った観光は、IRISH WHISKEY MUSEUMである。
がしかし、観光客にはどうやらホテルとかで公的に年齢を保証するチケットだかなんだかそんな感じの物が必要だったらしく、何も考えずに飛び出してきたせいで酒は飲めずじまいだった。もっとも、やっすいアパートメントホテルにそんなものを発行できる力があったかは定かでないが。
何やら貴重っぽいボトルが飾られていたものの、飲めないボトルに何の価値があるものか。
飲めるボトルを見なくては!と気を取り直して向かったのはCeltic Whiskey Shop。
流石はダブリン屈指の酒屋だけあって、見たことも聞いたこともないようなアイリッシュウイスキーが置いてある。今にして思えば、折角の旅先なんだからCeltic Caskを買えば良かったような気もするのだが、思いの外シベリア鉄道が高かったせいで足踏み、更に元はと言えばグリーンスポットのレオヴィルバルトンを買いに来たのではないか、他に買うにしても250ユーロは出せない、と諦めたのだった。
がしかし、そのグリーンスポットの限定品。そんなに美味しくなかった上に、帰国して数週間後にはリカーズハセガワに並べられることになるのである。おい、この旅行一体何のために行ったんだ・・・
これに加えて、DUNVILLE'S 10yを購入。
日本で見かけないけど、まぁアイリッシュらしく癖がなくてPX Caskがいい感じに効いてていい感じ(雑
当時はやたらにPXにハマっていたので、8000円程度相当で買えるものだったから悩んだ挙句にこれを買ったのだった。結果としてはグリーンスポットよりこっちの方が普段飲みに・・・。
翌日。昨日はウイスキーを買ったり見たりで終わったので、二日目は工場に行く。ジェムソン蒸留所は改修工事中だったので、ポットスチルだけ見てすぐ退散。
ギネス工場へ。
ギネスの製造方法や歴史などが書かれているのとともに、ここでは入場の際のチケットで一杯ギネスが飲めるようになっている。最上階にダブリンの街並みを一望できるテラスがあり、そこで多くの人々がギネスを飲んでいる。
あまり高い建物のない都市なので本当にダブリンを一望できる。ここで飲むのも良いかな〜とも思ったんだけど、一個下の階にギネスを自分で入れられるコーナーがあるという。
折角なので日本のアイリッシュパブで働いていた経験も生かしてここはひとつアイルランド人にシャムロック描いて驚かせたろやないかい!と意気込んだは良いものの、普段から適当に描いていたせいで「おいおいこれじゃあクローバーじゃなくて雑草だよw」とdisり嘲笑われた。クローバーだって雑草じゃないか。
ここで飲めるギネスは別格に美味しかった。日本でもちゃんと管理されたギネスを飲んでいたつもりだったが、味の濃さが全然違って濃厚だ。泡のクリーミーさもレベルが違う。だが、この工場で飲むから美味しいのであって、別にダブリン市内のパブでギネスを飲んでも美味いかと聞かれたらそうでも・・・ない。
一恥かいたところで、気を取りなおして次はティーリング蒸留所へ。
2015年にできたというこの蒸留所、どうやら製造なども見学できるみたいなんだけど来るのが閉店間際だったせいで試飲とお土産コーナーしか見れなかった。
有料試飲コーナーはちゃんとしたバーカウンターになっており、もはや店である。バックバーにティーリングしか置いてないのは圧巻。
ヴィンテージリザーブ26年やリバイバルカルヴァドスカスク13年なんかも格安で飲める。し、カウンターに立ってる店員さんもめちゃくちゃ丁寧に説明してくれる。
しかしヨーロッパの人は本当にどうやらストレートでは飲まないようで、皆カクテルにしてくれって頼んでいる。26年ものでもか・・・。
土産には樽出しのティーリングを自分でボトリングできる。カベルネ・ソーヴィニヨンカスクとラムカスク。
色々とお土産も買って、いい気分で晩飯を食べに行こうと考える。アイルランドに留学していた友人から勧められたパブに向かう。
The Brazen Headというパブ。この雑な感じのカウンターが、非常にらしくて良いよね。
ギネスは美味しかったんだけど、何杯もスタウトとかエールは重たくて飲めないのでラガーで。
アイリッシュシチューとギネス煮込み。イメージとしてはめちゃくちゃ水っぽいシチューでしかなかったアイリッシュシチューも、このパブのはちゃんと美味しかった。
シベリア鉄道に乗ってからロクでもない食事しかしてこなかったので、アイルランドの料理は涙が出るほど美味かった。やっぱり緯度が高いとダメだ。次に旅行するならもっと南に行こう。
2016年、美味しかったウイスキー
偉そうに2016年と見出しをつけたが実際まともに酒を飲みだしたのは今年からだから、説得力なんてものはなくて、なんとなく振り返ってまた飲みたいなーと思う年末のそういうやつです。
ランキングではなく、飲んだ順に。
山崎シェリーカスク2013がウイスキーバイブル2015で世界最高のウイスキーに選ばれたこともあって、2016の数量限定発売が決まった時はたとえ何万でも買おうと決めていた。実際発売された時は4万という値に足踏みしつつも抽選に応募。残念ながら外れてしまったが、友人が抽選に当たったので共同購入という形にしてもらった。
もう、語る言葉もない、バケモンみたいに美味かった。
2.ダグラスレイン The Old Malt Cask ストラスミル 29年
the mush tunと信濃屋向けに詰められたストラスミルの29年。もうボトルで手に入れることは難しいだろうが、29年を1万5千円ほどで買えるということに驚いた。というのも、ここで初めてボトラーズの存在を知ったのだ。CADENHEAD'S, GORDON & MACPHAIL, ADELPHI, THE MALTMANなどなど、、、完全に沼にはめられた。
ストラスミルには、紅茶っぽい、なんかざらっとした印象しかなかったが、これはかなりオイリーでフルーツ感が良かった。
山崎シェリーカスクから始まったこの1年は、バーに行ってもなんかシェリーカスクが飲みたい、しか言ってこなかった。どこかで飲みたいと思いつつもなかなか巡りあえなかったが、三越前のバーに入ってみたらあった。宮城峡自体は割と硫黄感が強くて得意じゃなかったがシェリーカスクはその感じもありつつも嫌ではなく、想像以上に濃厚なシェリーカスクだった。値段が定価で出回ってれば最高のボトルだけど、結局プレミアで4万くらいにはなっているから悲しい。
最近はこのティーリングのヴィンテージリザーブがキテるようで。21年かなんかを昔に飲んだ時は味が複雑すぎて何が何やらって感じだったけど、多少飲みなれたからか、26年がずば抜けて美味かったのか。
シェリーカスク、シェリーカスクとうるさかった私だが、これの美味さには黙るしかなかった。聞けば、バーボンカスクで熟成からのwhite burgundyという辛口のシャブリでのフィニッシュらしい。そのため香りは白ぶどうっぽくもあり、味はトロピカルフルーツ全開という感じだった。26年は流石に日本円でも8万近くするが、23年や24年は2万ちょいで買える。ジャパニーズといいスコッチといい、ブランド的な価値が余計に乗っている気がしてならないので、適正価格で買えるアイリッシュは素晴らしい。どんどん人気になっていくだろうし、安いのは今のうちなのかもしれない。(というかこの1年でバッチも変わったのに若干高くなってるよね。。。
5. アベラワー アブーナ
家に常備しておいて良いかな、というボトル。
アベラワーのオフィシャルはこの秋あたりにまた日本で正規に発売されているので供給に安定感があるし、ハイプルーフで、リッチな王道シェリーという感じでボトル1万いかない。これより美味ければ良いシェリーカスク飲んだな、という気分になるある意味自分の中での基準になった。
6. ラガヴーリン 25年
今年で200周年を迎えるラガヴーリンが記念に出した25年。まぁ鬼のように高かったし、美味いのも当たり前なんだけれども。
長熟のアイラでシェリーカスクってなるともう、大抵のボトルはどれかの要素の良さを殺してしまうんだけれども、すべての要素の良さを引き出してる感じで美味しかった。アイラ自体はあんまり得意ではなかったが、これはまた飲みたいという気持ち。
ピートが効いたウイスキーで美味しいと感じたのは、これと後述のボウモアと、カネマラ22年くらいだろうか。来年は開拓していきたい。
7. ハンターレイン The Old Malt Cask ボウモア20年
ボウモアには苦手意識があり、そもそもアイラモルトが好きでないというのもあるがその中でも特に臭い上に辛くて、にも関わらず味はさらっとしてるという印象だった。
ところが、このボトルでは辛さは全く感じられず、「アイラの女王」と呼ばれる所以を知った。ピート香はあるが、味わいは優しくそれとなくパッションフルーツの感じがある。昔のボウモアは南国感が凄かったと聞いて半信半疑だったが、これは納得。比較のために普通のボトルも飲ませてもらうが、これも普通に美味しかった。オフィシャルの一番普通のボトルでも、1,2年でこれだけ変わるのか。。。
8. 山崎 ミズナラ
いつかは行ってみたい、まさに「男の憧れ」というような店であるが、むしろ憧れて足を踏み入れられるのは学生の時分だけではなかろうか、と思い立ってお邪魔した。休日であったため、島地先生もおられたが歓迎してくださった。
この店のためだけの山崎である、詳しくは書かない方が良いのか知らないけれど、内容に対して値段は破格である。これをまずはニートでいただく。ミズナラというと、良く言えばキャラメル香と言える。悪く言えば青臭くてエグい。正直あまり美味しいと感じたことはなかったが、これはもう良い部分しか出てない。これはもうウイスキーというか、ジャパニーズウイスキーという別の酒だ。
二杯目は1:1で水と割ってシェイクして出してもらった、これが衝撃だった。薄まることなく、香りと味が一気にブワッと開くのだ。スイスイ飲めてしまう。。。ダブドフの葉巻を蒸しつつ、何から何までに呆気にとられたのだった。周りには明らかに高い服を着た、社長と呼ばれる人しかいない。逆に後数年もしたら足を踏み入れられないのだろう...と思いつつ、浮かれた学生のうちにまたうっかり勘違いと憧れで足を踏み入れたいと思った。次はタリスカーのスパイシーハイボールも頂こう。
こうしてみると結局1年、山崎で始まり山崎で終わっている。今年はロシアやアイルランドに旅行して、日本って酒しょぼいなーなんて思っていたけれど、とんだ勘違いだった。いや、もうちょっと安くしてくれりゃあねぇ・・・。
アイルランドに行った その4
タイトルは変えるが、前回からの続き。「シベリア鉄道からアイルランドに行った」でも良かったんだけど、それだと全て陸路で行ったみたいな感じが出てくるので。。。
というか元々はそのつもりでルートを考えたりもして、シベリア鉄道でモスクワまで行きそこからリガとかに電車やらバスやら使ったりとか、去年フィンランドに行った際にロシアビザを持っていなかった為に断念したサンクトペテルブルクーヘルシンキ間を結ぶ高速鉄道Allegroに乗ろうとか。夢は膨らむばかりだったが、口座の貯金額は膨らむことはなく、予算の範囲内でシベリア鉄道に乗ってかつアイルランドに行くにはイルクーツクで鉄道の旅を終えざるを得なかったのである。飛行機、安い。
事前にちゃんと予定を決めて安い航空券を取ったりすればもっと安く済んだはずなのだが、片道成田からウラジオストクまでの航空券だけを持ち日本を飛び出た我々は、イルクーツクに着いてから調べた段階で一番安い飛行機を取らざるを得なかった。トルコのアタテュルク空港やベルギーのブリュッセル空港を経由するのは流石にテロ的な意味で恐ろしかったのでそこらは避けつつ(それならISISから宣戦布告されているロシアに旅行すること自体アレだが。)
イルクーツクからウラル航空でモスクワ、モスクワからモルドバ航空でキシナウを経由してダブリンというルートが一番安かった。いや、キシナウってどこなんだ。。。
モスクワは通り過ぎるだけ。ロシアに旅行に行ってモスクワもサンクトも行かずにウラジオストクとイルクーツクだけ行くことになるとは思わなかった。天候にも恵まれなかったため、あまりロシアを満喫できなかったし、次モスクワなどに行く機会があったら晴れていることを願う。。。
印象に残ったことといえば、泊まったアパートのエレベーターがマジで揺れるしアナウンスの男の声がむっちゃ低くてこえーしなんかバイオハザードみたいな気分だったのと、イルクーツクで酒飲むか!となって酒場を探してもアイリッシュパブばっかりで、いやこれからアイルランド行くのになんでロシアのアイリッシュパブに行かなあかんねんとなった、というくらいだ。
イルクーツクを後にして、モスクワに向かう。本当に直前に取った飛行機だったため座席は最後尾。そのため、リクライニングではない。しかも、座席前にあるはずのテーブルが自分のところだけない・・・。隣は鬼のように太ったおばさん。イルクーツクの寒さで若干体調崩し気味。地獄だ。
どうなることやらと思ったが、一瞬で寝て起きたらモスクワに着いてた。飯も食ってないし、サービスもへったくれもあったもんじゃない、そもそもテーブルがないんじゃあ飯も食えなかったが。西へと移動しているので、早朝に出発して6時間ほどの道のりだったが着いても朝の9時。ここから7時間ほどドモジェドヴォ空港で次に乗る飛行機を待つことになる。
自己乗り継ぎなので市内に出るのも良かったのだが、空港から市内まではそこそこ距離があって観光をするには時間がなさすぎるので、空港でずっと漫画を読んでいた。Kindle、最強。
ヘルシングを読んでいたらいつの間にか搭乗時間になっていて、いよいよキシナウへ向かう。しかしまぁ歴史とかの教養がまるでない自分でも、ヘルシングの思っクソにハーケンクロイツが描かれてるページを開くのは憚られる。
モルドバ航空でキシナウへ向かう。まぁ安いしサービスはともかく死ぬことはないだろうと思って乗ったが、離陸時、滑走路でカーブをしながらジェット噴射したり、飛行中めっちゃ揺れたり、着陸成功時に乗客が拍手喝采したり・・・なかなかに価値観を揺さぶられた。
さて、聞いたこともなかったキシナウはモルドバという東欧の国の首都だ。ルーマニアとウクライナに挟まれた内陸国であるモルドバは、ヨーロッパ最貧国で町並みは旧社会主義国っぽい奇妙さがあるらしい。あくまで乗り継ぎでしかないから、その様相を町並みから見ることはできなかったが
モルドバ航空の乗り継ぎで通る謎の通路は異様に長く、壁は画像のようなビニールシートで囲まれてて、「不便でごめんね」みたいなことも書いてあった。確かに、なんか貧乏そう。。。
しかしこの国肥沃な土地ゆえワインやコニャックはかなり有名で、食材もかなり豊かだそうだ。
空港で醸造してるビールとかいうのもあった。飲まずにはいられない。
結論としては味はまぁまぁだった。こういう限定の樽生ビールってついつい飲んでしまう。
昨年旅行したヘルシンキでも、BRYGGERIという店内で醸造したオリジナルビールを売っているパブに足繁く通ってしまった。
店の地下にこのような施設も併設していて面白い。
ヘルシンキ大聖堂の真南にあるので、観光のついでにもバッチリである。
お土産でもここのビールを売っていたので買って帰って、当時バイトしていたパブの社員たちに配って回ったが「え、あんまり・・・。」と言われてしまって、そんなはずは!と思って自分の飲んでみたが、確かに現地で飲んだのより全然味が落ちていた。ボトルと樽生の差なのか、「そこでしか飲めない!」とか「限定」という文字に惑わされていたのか・・・。とりあえず現地で飲むと美味しかったです。
閑話休題。
ここでの乗り継ぎ待ち時間は3時間ほどであったため、免税店で色々酒をみたりお土産なんか買うかな〜と見て回ってるだけで終わった。
とはいえ、酒はEU圏内のあれそれで買えないし、お土産になりそうなものなんてキャビアくらいしかなかった。結果ダブリンで泊まるホテルに冷蔵庫がなかったので買わなかったが、この値段は安いのだろうか。。。
またあのモルドバ航空の飛行機に乗るのか・・・と辟易しつつも、飛行機に乗る。時刻は夜の21時、空港周りには一切都市という都市がないらしく、周囲の暗さが尋常じゃないかった。最貧国、恐るべし。再び、乗る、曲がりながらジェット噴射、揺れる、到着、拍手喝采、を経て無事ダブリンに到着した。したは良いものの時刻は23時。泊まる金も勿体ないので、ウラジオストクぶりの空港泊。空港内のマクドナルドで。思えばロシアだったからであろうか、マクドナルドを見かけることは一回もなかった。
あ〜資本主義に帰ってきたな〜とMの看板で感慨を覚えつつ、寝る。
イルクーツクを早朝に出てから、まだ1日が経っていないことが不思議でしょうがなかった。西へ西へと移動したから、実際問題24時間以上1日を過ごしていたような気もする。
起きたら朝の6時、ロシアでは全く見ることのできなかった青い空に、同行者共々「やっぱアイルランドだな〜〜〜」
ここまでのアルコール不足を取り戻すかのように、アイルランド旅行が始まるのだった。
忙しい時に限ってこう言う筆ばっかり進むので、きっと続くと思う。
シベリア鉄道に乗った、その3
このところの午前の気温は10℃前後で(京都在住)、私が9月上旬に訪れたイルクーツクと同じか少し高いくらいである。ロシアは夏でも寒い!という印象はウラジオストクやハバロフスクで裏切られてしまったと思っていたが、イルクーツクで本領を発揮してきた。むちゃくちゃに寒い。
寒いので駅についてすぐにタクシーを拾ってホテルへ向かう。スーツケースを持った私でタクシーを拾うには、値段に関してはある程度諦めねばならなかった。観光客アジア人2人組なんてカモ以外の何者でもない。3000ルーブルという料金を提示され冗談じゃないと断り倒していたら、1000ルーブルで良いよという運ちゃんが現れてそれに承諾した。駅からホテルまで7kmくらいだし1000ルーブルって日本で考えたら妥当じゃなかろうか?と自分を納得させようと頑張っていたが、よく調べたらそれくらいの距離を300ルーブルとかで乗ってる人もいるようだった。海外でのタクシーの値段交渉というのは旅慣れの腕の見せ所なのかもしれない。
住所を教えてホテルまで向かうがその地点にホテルはなく、あるのは銀行だった。結構親切な運転手はホテルに電話をかけてくれて、正しい位置を聞いてそこまで向かってくれた。最後降りる時感謝しながら1000ルーブルを渡すと「あ、1人1000ルーブルだから。」前言撤回、何も親切ではない。不幸中の幸い全財産が二人合わせて1500ルーブルだったので提示された金額は出したくても出せず、運転手も渋々1500ルーブルで納得して消え去った。ザマァみろ。有り金全部取られたけど。
ここがホテルらしいぞと運転手に降ろされたは良いものの、あたりを見渡しても、アパートしかなくて、ホテルらしきフロントなどは見当たらない。はてどこにあるのだろうかと探し回って建物を一周しても存在しない。はて・・・
それもそのはずで、私がシベリア鉄道に乗る直前に安さだけで選んだこのホテルは民泊というやつだったのである。ただのアパートの一室をそこのオーナーがホテルとして貸し出しているので、部屋に入るには到着時にオーナーに連絡をして鍵を受け取る必要があったのだった。そんなこともつゆ知らず、まぁ連絡入れずに早めに着いてもフロントに言えばアーリーチェックインできるっしょwとヘラヘラ朝の6時半にアパートの下に来た我々は、初めてその事実を確認し、ただただ呆然とするのだった。チェックインは14時予定である。気温は依然7℃。
同行者も寒さと怒りでぶっるぶるに震えていた。このままでは凍死してしまう、なんとかせねば、ホテル新しく取ろう、まずは街の中心に戻ろう、いや戻るためのタクシーが拾えないぞ、うわ雨も降ってきた、いやいや死ぬ死ぬ
こんなやりとりを40分くらいアパートの下で繰り広げていたら、眠たげなオッサンがやってきて、「お前ら宿泊客?」的なことを尋ねてきた。タクシーの運ちゃんがホテルのオーナーに電話してくれたおかげで、オーナーが「あれ?もう着いたんかな?」とアパート下まで来てくれたらしい。いや、もっと早く来いよ、お前電話受けてから絶対一回寝ただろ。
かくして寒空のロシアで危うく凍死するところだった我々は、何とかホテルのチェックインを済ませたのだった。5,6日ぶりのまともな「部屋」。キッチンもある。何週間か滞在する時にこのアパートメントホテルを使ったら、ちょっとしたロシア人になれるだろう。ヨーロッパとアジアの境目という感じが部屋にも出ていて、フローリングと西洋的な家具であるのに対し、玄関兼キッチン(なかなか日本では見かけないイカれた配置ではあるが)があり、そこまでは土足で入っても大丈夫だけど、部屋自体は素足で生活するというスタイルだった。
もしかしたら海外は部屋でも土足というのは勝手なイメージであって、アメリカでもヨーロッパでも実際は違うのかもしれないけど。ホテルしか泊まったことがなかったから、なんか妙な生活感というか、そういうものが新鮮だった。ま、一泊しかしてないからキッチンも使わなかったし、生活感もへったくれもありゃせんのだが。
とりあえず風呂に入って寝る。4,5日風呂に入らないというのは初めての経験で、あー風呂に入らないと本当にハエってたかるんだな〜とか、やっぱり一番臭くなるのは蒸れるところやから股間なんだな〜とか、そろそろ限界だったためイルクーツクでの一旦下車は賢明な判断だった。ロシア号そのまま乗ってウラジオストクからモスクワまで行く人は、モスクワに着く頃には誰も近寄らない浮浪者の臭いを身に纏えるのではなかろうか。車掌への賄賂でシャワーを浴びれるという噂も聞くが真実は定かでない。
昼頃に起きて、シベリアのパリとも呼ばれるイルクーツクの観光を試みる。
・・・・え?どこがパリなんだ・・・?パリ感全然ないぞ、パリに行ったことはないけど。
曇天でめちゃくちゃに寒かったせいもあってか、そこかしこにある赤い露店やわけのわからんモニュメント、古めかしい木造の建物は、観光客の我々を拒否しているように感じられ、「これが社会主義か・・・冷たい・・・冷たいな。」とか戯言を抜かしていた。
実際のところ、自分たちが歩き回ったのは中心とはちょっと外れたところだったらしく、ネットで「イルクーツク シベリアのパリ」と検索してみると、確かにパリっぽい画像が出てくるのである。俺もパリっぽいと思ったし、サイトの筆者もパリっぽいと思っているのである。両者ともパリには行ったことがないが、パリっぽいと感じるんだからパリっぽいんだろう。やっぱり。
雨脚はどんどん強まりバイカル湖にも行ったところでこんな天気じゃ何も楽しめなかろうという判断を下した。だが、せめて美味い郷土料理だけはここで食わねばなるまい。
正直もう英語が全く通じないという状況に辟易としていたので、トリップアドバイザーなどで高評価を得ているрассольникという店を選んだ。店の名前は、「塩漬け野菜のスープ」であるが、なんかもう詳しいことは考えずに入店。
USSR時代をイメージした内装で、古典的な大衆映画をずっと放映してる。店員は女性はメイド服と男性はかっちりしたウェイターの制服。値段の割にはなかなか高級感が出ていた。
せっかくなので、バイカル湖にのみ生息するというオームリの刺身のサラダ(マリネしたものをスガダイと呼ぶらしいけど、それのアレンジ的な何かだろうか)と焼いたオームリ、ボルシチ、と存分に郷土を味わう。まぁ、美味いんだけれど、しかしこう、緯度の高い地域ってのは本当になんでもかんでもサワークリームを付けたがるから良くないよね。黒ビール(定番のバルチカだったと思う)は結構進んだけど。あと、湖の魚ってことはオームリは淡水魚なわけで、結構臭みは強かったりした。
ブツブツ文句を言いながらも、久々にありついたまともな食事であったため一瞬で完食して、近くにあったショッピングモールМОДНЫЙ КВАРТАЛでなんか変な服とか売ってないかな、と見てみる。3年前に出来たばっかりのこのショッピングモールはどうやらイルクーツクの最先端というやつだったみたいで、入ってる店は日本でもよく見かけるブランドばかり。そりゃそうだよな、日本でショッピングモール行ったからって、日本産の服が手に入るかと言われればそんなわけでもあるまいし。海外行ったらそこで変な服を買うっていうのが趣味なので、YES, ! KNOWとかいうロシアのショップで服を買ってみたは良いものの結局調べたらdesigualというスペインのブランドの服でした。ZOZO TOWNで買えるじゃねぇか。大失敗。
なんかまともに観光することもなく、雨と寒さで満身創痍になりながら、ホテルへと帰っていくのだった。近場にスーパーがあったので、そこで軽く飯とか買おうという話に。
何気ない普通のスーパーなのに、えげつない酒の量である。二枚目に至ってはこれ全部ウォッカだし、流石としか言いようがない。何を飲もうかと歩き回っていると
「お米」「ラガービール」
お米なのにラガービールなのかよ、日本酒じゃないのかよ、いやそれなら麦にしろよ
ツッコミどころしかないこのイカれたビールを見て、買わないわけにはいかなかった。
信じられないぐらい不味かった。
このご時世ネットがあるし、旅行ガイドブック的なものを持たずに旅行してもある程度楽しめるかなと思ったけど、やっぱりああいうまとまった資料はあったほうが良い。特に、イルクーツクはあんまり調べても情報出てこなかったしな・・・。
ロクでもない思い出しか作れぬまま、翌日朝5時にホテルをチェックアウト。
ここからはもうシベリア鉄道には乗らず、アイルランドへ出発へ。
続けば続く
シベリア鉄道に乗った、その2
前回を書いてから既に1か月以上経ってしまって、もはや備忘録の体をなしていないが、思い出しつつ。
シベリア鉄道というとやはりあの国旗と同じカラーの車両の印象が非常に強く、曇天の中これから乗るぞという車両が何だか冴えないものだったのは、なんだかなぁという気分であった。
ウラジオストクから長距離移動する車両は、モスクワまで行く代表的な列車1,2列車「ロシア号」とノヴォシビルスクまで行く7,8列車の隔日運行である。私が乗ったのは7,8列車。何せ値段が全く違う。ロシア号の一等車に乗ったとしたら5万は下らなかっただろうし、多少車両が冴えなくても仕方のないことだった。
雨の降る中2人部屋を独り占めしてぼんやり出発の時を待つ。直前に切符を取ったため、同行者と同じ部屋でイルクーツクまでというわけにはいかなかったが、結局この後イルクーツクを降りる直前のウランウデまでコンパートメントに同乗客がやってくることはなかった。シベリア鉄道での異文化交流とは一体何だったのか。まぁ引きこもりオタクなので、結果的には快適で良かったけど。
最初のうちは雨で外も楽しくないし、ひたすらKindleでARIAといちご100%を読んでいた。どうでもいいけど、皆西野好きすぎない?僕は今も昔も北大路が大好きです。
ARIA読んで、うわヴェネツィア行きてーと思って航空券を調べたりして、アイルランド行きを辞めるかどうか悩んだりもした。結果としてアイルランドにどうしても飲んでみたいウイスキーがあったので断念したけど、行き先決めずに旅行ができるのって本当に自由で楽しい。
そんなこんなでいつの間にか寝てて、起きて一番に目に入った光景はこれだった。
「うわ・・・なんかモンゴルっぽい。」
アホみたいな感想しか抱けなかったけど、1時間くらいはずっとこんな感じの風景を眺めて、シベリア鉄道乗ってんだなーとしみじみ感慨に浸っていた。1時間ずっと一面草だと流石に飽きてきたので、いちご100%の続きを読み始めた。
暗くなってお腹も減ってきたので、同行者を部屋に呼んで晩飯を食う。ウラジオストクで買い込んだインスタント類。値段も他に比べて若干高かったけど、やっぱり日本のインスタント食品は美味い。ロシアのカップ麺は、、、ひたすらに辛かった。
晩飯を食べてるうちに、ハバロフスクに到着した。駅から見える街並みはネオンライトが煌々としていて、現代的というには少し古臭い街並みではあるが、これまでのモンゴル感しかない風景よりは多少ロシアっぽさを感じた。ウラジオストク、ハバロフスク、イルクーツク、どれも現代的というよりは少し古い70,80年代的な感じだった。その当時を生きてるわけではないから語弊があるかもしれないけど。
これまたアホっぽい感想になるが、どの都市に降り立った時でも私の感想は「うわ・・・グラセフっぽい。」だった。ロシアでグラセフっぽい、はなんだかシャレにならない。
外は多少肌寒いというくらいで、いくらロシアといえども夏はこんなもんかって感じだった。降りて煙草を同行者にもらう。一本くれとおっさんに話しかけられる。後にも先にも、これだけがロシアで体験した異文化交流だった。
再び起きると景色はモンゴルに逆戻りだった。というかむしろここからバイカル湖まで、ずっとモンゴルだった。三日三晩モンゴルだった。
2日目の昼頃(?)に食事が運ばれてくる。これは食事と呼ぶに値するかどうかは個人の見解次第というところがあるが、これほどまでにフレッシュさを感じない生野菜は初めてだった。それもまぁ、旅行らしいといえば旅行らしい。写真に残ってはなかったけど、メインディッシュはなんかよくわかんないミンチ肉を、よくわかんないものでつないだよくわかんない食べ物だった。日本では絶対に味わえないだろうけど、意外と美味しくはあった。
一面草には変わりないが、夕暮れは綺麗だった。ここら辺からもう今が何時なのかが分からなくなってくる。というのも、シベリア鉄道ほど横に長いと移動中に時差の境界線を突っ切ってしまうので、鉄道内の時間はモスクワ時間に合わせているのだ。ど深夜の表示なのにお昼前だったり、夕方頃の表示なのに真っ暗だったり、何が何だか分からなくなってくる。気にせずKindleでいちご100%の続きを読む。
ちょこちょこと停車するので、なんとなく外に降りて風景を見てみるが、こんなところで普段から生活を送ってる人間がいる、という事実と、もしこんなところで生まれていたら・・・と考えたりしてぞっとした。
ハバロフスクを過ぎるとチタまでは本当に小さい駅ばかりで、景色も変わり映えがないので、KindleとiPadに入れてきたガルパン劇場版を観るばかりだった。旅行前は、コンパートメントの同乗客であるロシア人に上坂すみれさんのロシア語を聞かせて、実際のところどうなん??って聞くやつをやるつもりでウキウキしていたのに、蓋を開けてみれば一人の部屋でガルパンを見ている。。。これでは日本にいる時と何も変わらないではないか!!
思い立って部屋を出て車両連結部分に行ったら、車掌が職務を怠慢しながら禁煙であるシベリア鉄道でスパスパ煙草を吸ってるところを目撃した。睨まれた。部屋に戻っていちご100%を読んだ。
その後また別の駅で煙草を吸ってる時に車掌と若干話してわかったが、どうやらその時は自分のことを中国人と勘違いして睨んだのだそうな、日本人と分かるやいなや凄い笑顔で話しかけてきた。何を言ってんだかさっぱり分からない速度で話されたので、とりあえず笑っておいた。
3日目だか4日目になって、チタという比較的大きな都市に停車。名前の響きが似ているから、知多と姉妹都市らしい。まさか知多よりも先にチタに訪れることになるとは思わなかった。知多ウイスキー、結構好きです。ソーダで割る分には。
もうイルクーツクまで1日を切ったというところで食糧がつき、列車を見て回ったらすぐ隣の車両に食堂車があったので入ってみた。これまた、ロシア号に比べると絢爛さは劣るが、まぁ綺麗だった。
ウラジオストクで酒を買い忘れて3,4日ほど禁酒状態だったので、とりあえずビールを頼む。
「ないよ」
気を取り直してワインを頼む
「ないよ」
まさか・・・と思いつつウォッカを頼む
ティーカップで出てきた。。。これは舐められていたのか、ロシアとはそういう適当な国なのか。定かではないけど、本当にウォッカしかないんだ・・・。食事には絶望的に合わなかったが、ストレートで飲んでも美味しかった。なかなかこんなウォッカは飲んだことがない。初めてアブソルートエリクス飲んだ時に覚えた感動だった。
食事もきちんと温かいものが出てきた。キッチンでちゃんと調理していた。あの生野菜は何だったんだ。
食ってるうちにウランウデに到着した。一度飲んだら一杯じゃ止められないので駅に降りてビールを買う。まぁ、普通のラガービールだった。美味いも不味いもない、カールスバーグに味は似てた。ここで、コンパートメントに中国人が乗ってきた。一等車に乗るだけあってちゃんと英語も話せて、教養がある人だった。適当に世間話して酒飲んで寝た。
起きたら見えたのはバイカル湖だった。対岸の都市はおそらくリストビヤンカであろう。流石に一面草ばかりの景色ばかり見てきたので、湖面にテンションが上がってしまった。
そして遂にイルクーツクに到着。朝の6時に列車を放り出されて、さてどうするかと考える。考える・・・考え、考えられない程寒かった。それもそのはず気温は7℃、とても9月上旬の気温とは思えない。震えながら、タクシーを拾ってホテルへ向かう。
この選択が最大の過ちであった。気が向いたらまたその3に。
シベリア鉄道に乗った、その1
先日の記事でロシアビザの取得についてやんややんや書いたけど、そのビザを携えてロシアはウラジオストクまで友人と二人で行ってきた。そこからはシベリア鉄道でイルクーツク、更にイルクーツクからは飛行機を乗り継いでアイルランドまで行った。
成田からウラジオストクまでは3時間半程度だった。近い。友人の持って来たポケットWi-FiにSIMカードを入れるために早速売り場に向かうが、19時過ぎの時点で店は閉店していた。(空港内には、ロシアの通信会社最大手?らしいMTCと、3番手らしいbeelineの店舗がある。19時でMTCは閉店、20時でbeelineは閉店と聞いていたので、beelineの契約をするはずだったのだが・・・。閉店時間はあまり信用しないほうがいい。)
金もないのでその日は19時過ぎに空港に着いて、そのままそこで夜を明かした。
事前の手続き(バウチャーやらビザやらなんやら)が面倒くさいから、入国前はどうなることやらって感じだったけど、入ってみれば特にどうということもない普通の外国って感じだった。
空港は上の2枚の写真で1階はほぼ全てである。2階に寝れるようなベンチのスペースがあって、そこで夜を明かした。
ロシアの空港のWi-Fiは、SMSで認証するような形になっている。認証せずにWi-Fi繋ぐと、なぜかウラジオストクでは検索エンジンサイトからのアクセスは弾かれるが直接サイトのアドレスを打ち込むとアクセスできる。というような感じだった。イルクーツクとモスクワのドモジェドヴォ空港では認証しないと全く使えなかったので、SIMを持たずに行動するのは結構危険かもしれない。(実際のところどうなのか知らないけど、海外で電話番号を使った通信とかしたら無茶苦茶金かかりそうだから、空港のWi-Fiは使わないようにした。)
綺麗な朝焼けだが、これ以降ロシアで太陽を拝むことはなかった。朝の6時だか7時くらいに、空港から駅へ向かう。朝が早いのでまだバスも電車も動いておらず、少々割高ではあるものの1500ルーブルを払って(一人当たりではなく、タクシー1台の料金)タクシーで駅まで行った。(ウラジオストク内はどこに行っても1500ルーブル。タクシーの運ちゃんはstationすら通じないので、вокзал(ターミナル駅)って書いてる紙を見せてウラジオストク駅まで。)
駅周辺は台風10号の影響もあってか、大雨。とりあえず切符を買う。駅の地下に切符売り場と乗り場がある。現地で買うと日本よりも安いと聞いていたので現地で購入したが、当日は既に2等車が売り切れており1等車で向かうこととなった。想定外の出費、イルクーツクまでで約3万円。踏んだり蹴ったりだ。
その後SIMの調達をする。駅の向かいにはbeeline。駅のすぐ横には二番手のМегаФонがあったがМегаФонの方が開店が遅かったので、食料調達も兼ねて、駅向かいのスーパーとbeelineに寄ることにした。スーパーには、極東ロシアだけあってロシア的な要素もありながら、ハングルであったり日本語であったりと様々な文字を見かけた。中国の商品はあまり見受けられなかった。
謎のインスタントコーヒー、武士道。ロシアってそもそもあんまりコーヒーを飲む習慣がない?のかは知らないが、S7航空でも、シベリア鉄道内でも、コーヒーという選択肢はなかった。イルクーツクで、「お米」というビールを見つけたりもしたが、如何ともしがたいネーミングセンスである(せめて「麦」にしろよ)。ちなみに、どちらも全く日本製ではない模様。
三番手ということで少し不安だったbeelineも、シベリア鉄道沿線でもまぁそれなりに快適だった。それなりに大きい駅に止まれば、繋がるという具合である。阪急京都線の河原町から桂あたりまでの感じと考えれば実質京都だ。
2等車が売り切れてるのに不満をこぼしつつ、概ねの日程が決まったので、イルクーツクの宿を取る。行きの飛行機のチケットだけ取っても旅行ができる時代、すごい。そんなこんなで、ぼちぼち出発の時。ウラジオストク駅乗り場には全線の路線図が書かれている。距離でみれば、イルクーツクまででも半分は行ってなさそうだ、恐ろしい。
曇天に、なんだか冴えない車両に乗って出発。その2に続くかは、気分次第。